手紙〜lettera〜(シンフォニック=レインSS)


トルタが家に帰ると、それは届いていた。ほんの少しだけ小奇麗な模様の入った便箋。



毎週木曜日、クリスがトルタの姉であるアリエッタへと宛てた手紙。ただし、この手紙が彼女の元に届くことはない。
実家を経由してここ、ピオーヴァにあるニンナの家へと運ばれる。
クリスもまた、ピオーヴァに住んでいるのだから無駄なことこの上ないが、それはトルタが行わなければならない大事な儀式。


『クリスのためにやっていることだから』


そう思うことで、際限なく湧き出てくる罪悪感を抑える。


『またクリスの心が壊れないように…』


しかし、最も遣り切れないのは、それが詭弁だとトルタ自身がわかっていることだろうか。




「ふぅ・・・」


自分の部屋へと戻り、扉を閉めてからトルタは、短いため息をつく。
そして、制服からアルの普段着に着替える。
アルのために書かれ、アルのために送られた手紙の封を切り、アルに向けられた言葉を読む。
これは、クリスがアルへの想いを込めたものであり、その結晶なのだ。
それを、アルではない自分が覗き見るのは、とても神聖なものを踏みにじる行為であるように思えてならなかった。
クリスのためになら、どんなに汚れてもかまわない覚悟をしているトルタであったが、やはり躊躇ってしまう。
クリスのためにすることが、クリスの想いを踏みにじってしまうパラドックス。


だから、こうしてトルタはアルの服を着る。
そうすることで、表面上とはいえ、アルになれる。
クリスを傷つけずに済む。
詭弁だと判っていても、トルタはそうせずにはいられなかった。
そうしなければ、手紙の封を切る勇気を出せなかった。
最後に髪を結っていたリボンを解き、トルタはアルになった。




『 アリエッタへ。 雨の街から、君への手紙を書いています。 』



クリスからの手紙は、いつもそんな書き出しだった。
内容は、ごく簡単な一週間の報告。
それほど活発的ではないクリスだから、いつもこれといった変化はない。
卒業演奏が近づいている今、パートナーのことで色々とやり取りはしているのだけど、それでも便箋一枚に収まってしまうくらいの、短い手紙だった。
クリスには、未だはっきりとしたパートナーが決まっていない。
すでに二ヶ月を切っているというのに、のん気なものだと思いながらも、やっぱりクリスらしいとも思ってしまう。
きっと、アルが何事もなくこの手紙を読んだとき、自分と同じような感想を抱いただろう。
クリスらしい、と。
そう、何事もなければ・・・・・・・・・。
アルの現状を思い浮かべ、考えが仄暗い底に沈んでしまいそうになるのを、トルタは頭を振って抗った。
今は、手紙の返事を書くことに集中しなければならない。
そうして、無理やり意識をポジティブなほうに引き上げる。
こんなことばかり上手くなったな、と頭の隅で自嘲しながら。






返事を書くため、もう一度クリスの手紙に目を通してみる。
すると、便箋の中程に、薄い何かの筋が見えた。
よく注意してみないと判らないほどの薄さだったかが、顔を近づけてみると確かにあるのが判る。
ほとんど無意識のうちに、トルタは便箋を裏返してみた。
クリスの筆圧はそれほど高いほうではなく、便箋の裏に文字の跡は、ピリオドのように止めるところしか残っていない。
そして、表で見えた薄い筋のあるところには、凸型でやはりうっすらと跡があった。


その筋を見つめながら、トルタは考えに耽る。
考えられることは一つしかない。
筆圧が低く、下敷きの必要のないクリスは、昔から手紙を書くときは便箋を切り取らずにじかに書き出す。
恐らくこの筋は、この便箋の一枚上に載っていた便箋に、何かを書いたときに残ったものなのだ。
しかも、それはクリスではない。
クリスであるならば、うっすらとはいえ下の便箋に残るほど力をいれない。
仮にクリスであったとしたら、それほど指先に力を入れて、何かを書いたことになる。
どちらにしろ、好奇の虫が疼いた。


クリスでないとしたら、アーシノだろうか。
これはアルとの手紙用の便箋だから、外出時にメモ代わりにしたとは考えにくい。
となると、場所はクリスの部屋以外にはない。
しかし、アーシノがクリスの家に行ったことはあっても、部屋に上がったという話は聞いていない。
そこら辺の情報収集に、抜かりはないはずだった。
では、自分も知らない第三者か。
部屋に上げるほどだから、よほどの仲と思われるが、トルタはアーシノ以外にそんな人物は知らない。
情報収集が完璧とはいえ、四六時中ついているわけでもなく、クリスの周りにもそんな人はいない。
それに、時々それとなく仲良くなった人がいないか、聞いてみたりしているのだ。
それがただの友達であれば、すんなり話してくれるだろう。
それだけの仲であることに、トルタは自信があった。
仮にクリスに親しい友人が出来たとして、トルタに話していないということは・・・・・・


(女の子、だったりするのかな・・・・・・)


ほんの少し、胸が痛くなった。
とにかく、いったい何と書いたのか、それだけでも知りたい。
悪い方向に考えが行く前に、強引に思考のベクトルを修正する。
目を近づけてみるが、かろうじて線があるというところまで近づけないと見えず、全体を見通すことは不可能だった。
少し考え、トルタは筆立てから鉛筆を取り出す。
確か、何かの本で読んだことがある。
これと同じように、紙にうつったペン跡を浮き出させ、残されたメッセージを云々、だったか。
軽く握り、色鉛筆で色を乗せていくように、ペン跡の上をなぞっていく。
徐々に、何が書かれているのかが浮き彫りになっていく。
ペン跡とはいえ、元がよく見なければ見逃すほどの薄さのため、鉛筆がけをしてもぼやけた感じにしかならない。
しかし、それでもかろうじて読むことは出来た。





『mammone』(マンモーニ







ピシっという音ともに、トルタは凍りついた。
あまりにも意外で、あまりにも予期できない言葉。
ゆえに、しばらくの間トルタは絶対零度の世界から抜け出せなかった。









「・・・・・・ええっと」


やがて、緩慢な動作で面を上げたトルタは、そのまま天井を仰いだ。
いつもと変わらぬはずの自分の部屋の天井。
しかし、それがどこか余所々々しく感じるのは、自分の心境がいつもと違うからであろう。
自分の精神状態によって、見える景色の印象というのは変わるものなのだな、とトルタは本で得た知識を実感する。
本来なら、それはけっこう感動的なものなのだけれど、素直に喜べないのは原因がアレだからだろう。
再び、手元の便箋に目を投じる。
アレは変わらず、手紙の中程に浮き上がっていた。


(・・・・・・・・・・・オーケー、オーケー、現実を受け止めなさい、わたし)


再びコチートに落ちそうになるのを、すんでのところで踏ん張って現実に留まる。


(まず、私の名前は?)


多少、まだ思考が混乱しているようだ。
無論、トルティニタ・フィーネである。
しかし、ふと見た鏡の中には、アルの姿が映っている。


そう、今のトルタは、正確に言えばアリエッタ・フィーネの格好をしたトルティニタ・フィーネである。
変わり無いように思われるかもしれないが、そもそもトルタがアルの格好をしているのは、自身をアルに錯覚させるためなのだ。
つまり、アルの格好をしたトルタは、トルタがアルの思考とその傾向を限りなく忠実にトレースしたアルなのである。
ややこしいが、要はアルの格好をしたトルタは、本来のトルタではないのだ。
アルの服を脱ぎ、自分のいつもの服に着替える。
お気に入りのリボンで髪を結い、トルタはトルタへと戻った。


「これは間違いなくクリスの手紙で、マンモーニという単語が書かれた跡が見つかった」


なぜか。


「理由とかはひとまず置いておいて、それだけは事実である。Capito?【わかりましたか?】」


はい、わかりました。


「Va bene【よろしい】」


着替えと自問自答により、落ち着きを取り戻すトルタ。
改めて、マンモーニという単語を見直す。


(こんな言葉を書きそうなのは・・・やっぱアーシノよね)


さっき考えたように、アーシノがクリスの部屋に入ったということは聞いてない。
しかし、それは聞いていないだけで、最近行ったという可能性もある。
家の玄関までいったことがあるのだから、それ以降の進展があってもおかしくはない。


(アーシノがクリスの家に行って、マンモーニなんて言葉を書くような状況って・・・・・・)






『へぇ、これがアリエッタ用の便箋か』
『うん。そうだよ』
『だいぶ減ってるなぁ。毎週かかさずってわけかぁ?』
『まぁね』
『ふ〜〜〜ん・・・・・・寂しかったりしないのか?』
『え?・・・・・・そりゃぁ、昔みたいに毎日会えるわけじゃないけど・・・』
『けど?』
『けど、こうして毎週手紙のやり取りはしてるし、ナターレには会いに来てくれるし』
『ったく、普通は自分から行くもんだぞ。彼女にばっか負担かけさせやがって』
『だって、向こうがこっちに来たいっていつも言うし・・・・・・まぁ、こっちから行くのが疲れるっていうのもあるんだけどね』
『そういうところも、向こうはお見通しなんだよ、きっと』
サラサラサラ
『ちょ、ちょっと何書いてるのさ!?』
『こんなの書いてるんだよ』
『・・・・・・マンモーニって・・・それ、どういう意味?』
『お母さん子』
『いや、それくらいは知ってるよ』
『甘えん坊って意味だ、よ!』
『え、わ、ちょちょっとアーシノ!? 何するんだよいきなり!』
『クリスは、可愛いね〜』
『だ、だめだよアーシノ、こんなの、あ、あ






「ってちょっとまったーーーーーーーーー!!!」


声楽科で鍛えられた腹式呼吸による大音量の制止により、妄想を中断させる。
普段の発声練習でもここまではやらないだろう。
音楽の街だけあって、住宅地での歌や楽器の演奏を気にする人はいないが、それでもここまで大きな声を出せば、近所迷惑になりかねない。
だが、トルタにそんな気遣いをする余裕はなかった。
今日はニンナが出かけていて、家にいなかったのがせめてもの救いか。


(なんで、アーシノがクリスを襲う妄想なんかしちゃうのよ〜〜〜!)


ベッドに倒れこみ、ごろごろと悶え苦しむトルタ。


(だいたい、アーシノはクリスを友達ヅラして利用しているだけなんだから!)


クリスに好意を持つはずがない。
しかし、トルタはあることに思い至り、はたと動きを止める。


(けど、結局アーシノはクリスに依存しきってるってことだし、クリスはクリスでアーシノを親友レベルに思っているわけだし・・・・・・)


そう、可能性がないわけではない。


(いえ、そんなはずがないわ!クリスはノーマルな男の子のはずだし、アルへの想いも本物。私と二人っきりのときも、ちょっとは気にかけてくれているみたいだし、女の子に興味がないわけじゃない)


そんなことを考察すること自体、少量の不信感がある証拠なのだが、トルタは全く気づかない。
クリスの家の方角を向いて拳を握る。


「信じてるからね、クリス」


クリスに届くように念じながら、つぶやく。


(さて、仕切りなおさなくちゃ・・・・・・)


改めて、便箋を見直す。


(アーシノじゃないとすると・・・・・・私の知らない親しい人、ということになるわよね)


クリスは人間関係において、それほど積極的ではない。
自分から親しくなろうとすることなど、ほとんど稀であろう。
しかし、今はパートナーのことで差し迫っているから、多少は動いているのかもしれない。


(けど、こんな短期間に、部屋に上げるまで親しくなったとなると・・・・・・)







『あら、これがアリエッタさん用の便箋?』
『そうですよ、先輩』
『ふ〜ん・・・・・・マメに出してるんだね』
『まぁ、そういう約束ですから・・・』
『幼馴染なんだっけ。寂しくなったりはしないの?』
『え、えと、それは、まぁ・・・・・・』
『ふふふ』
サラサラサラ
『あの、何を書いているんですか?』
『これ』
『マンモーニって・・・・・・わ、ちょちょっと先輩!?』
『寂しかったら、甘えていいのよ?』
『え、でも僕には・・・・・・』
『クリスさんは、可愛いね』
『あ、だ、だめです。そこは・・・ぼく、も







「まぁ〜〜〜〜〜〜った〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


声楽科で鍛えた腹式呼吸に肺活量を加え、音量こそ先ほどとは劣るものの一般人には考えられないほど長く声を出すトルタ。
発声練習の中に、トーンを長く維持するメニューがあるにはあるが、やはり近所迷惑になる可能性もあるので、家でやることはない。
無論、トルタは気づいていない。


限界まで肺を酷使したせいか、しばらくトルタはゼェゼェと息を荒げていた。


「ていうか、先輩って誰よ!?」


ようやく息を整え、開口一番トルタは言う。
自分で考えておいて、誰だも何もないだろうに。


(まって、落ち着きなさいわたし。Calmati、Calmati!【冷静になれ】)


そして三度、マンモーニの単語を見返す。


(よく見たら、やけに乱れた筆跡よね・・・・・・)


薄く残った跡からの再現であるため、読みにくいのは当たり前であったが、それにもまして字がよれよれであることに、トルタは気づいた。


(うん。私たちよりも年上の人が、こんな字を書くわけがないわよね)


字が下手な人というのは実際いるわけで、その結論には疑問が残る。
が、トルタはあえてそっちのほうへ考えないようにした。


(そうよ!クリスはアル一筋なんだから、浮気なんてするわけないわよね!)


「し、信じてるからね、クリス?」


先ほどと同じようにクリスの家に向けて、やや上ずった声で祈るトルタ。
しかし、それでは一体誰が書いたというのだろうか。


(この筆跡は・・・・・・何だか、字を書き始めた子どもみたいな・・・・・・)






『あー』
『んー、どうしたんだい?』
『いあうー』『ああ、これはね。お母さんに手紙を書くための紙だよ』
『ふに、はうは?』
『ん・・・ああ、何か書きたいんだね。最近色んな言葉を覚えてきたみたいだからね〜。はい、このペンでね』
スー、スー、ス
『あーう!』
『出来たの?どれどれ・・・・・・』
『はにゃだ!』
マンモーニ
『・・・・・・・・・ええっと、こんな言葉をどこで覚えたのかな〜?』
『はにゃははは』
『わっと、こらぁごまかすなよ〜』
『ふにゅ〜、あううあ〜』
『まったく・・・しょうがないなぁ』







「しょうがないなぁ、じゃないわよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


声楽科の命ともいえる喉を潰しそうなほどの怒号を、トルタは上げる。
もちろん、ご近所迷惑であることは言わずもがな。
そして、トルタも以下略。


「なに!?いつのまに子どもなんか作ったの!!?しかも相手はアリエッタ!!?ありえない!!聞いてないわよ、そんなことーーー!!!!」


我を忘れて暴れ狂うトルティニタ。


「不潔よ、不潔!! クリスのバカーーーーーー!!!!!!」


賢明な人はもうお気づきであろう。
彼女が最初から、冷静さを失っていたことに。







翌週の月曜日。
学院にある食堂にて。


「そういえば、アルからの手紙のことなんだけど」


食事を終え、ボーっとしていたクリスは、ふと思い出したことを隣のトルタに語る。
サンドウィッチをぱくついていた彼女は、それを聞いて思わずむせてしまう。


「だ、大丈夫!?」
「けほ、こほ・・・・・・だいじょーぶ、平気。 で、アルの手紙がどうしたの?」
「うん、それがね、昨日届かなかったんだよ。トルタのとこは、どうだった?」
「あー、うん・・・私にも届かなかったよ」


努めて冷静に、受け応えるトルタ。


「何か、向こうの仕事が忙しいらしいわよ。 ほら、もう年末だし」
「ああ、そっか」
「そ。だから気にすることないわよ、あはははははは」
「? 何で笑ってるのさ」
「あー、いや。なんでもないから、うん」


手紙自体の秘密を差し引いても、言えるわけはないだろう。
まさかあの日、一日中悶え苦しみ、返事を書くことができなかった、などとは。









Special thanks:岩崎たかひろさん []