怪説『以津真天の枷』

元は、江戸の妖怪画家、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪です。
絵と一緒に、『広有、いつまでいつまでと鳴きし怪鳥を射しこと、太平記に委し(くわし)』という一文も添えられています。
石燕は、この『太平記』という書物に書かれていた、『広有射怪鳥事(ひろありかいちょうをいしこと)』という古文を参考にして、以津真天という妖怪を絵にしたのです。


内容を要約しますと、
ある日、内裏にある建物の一つで、『いつまでも、いつまでも』という声が聞こえてきました。
何だか人々が気味悪く思っているところへ、広有という人が弓矢でもって屋根の上に射かけると、でっかい怪鳥が落ちてきたそうな。
怪鳥の様子に関しては、『以津真天の枷』で描写している通りです。
ただ、顔が人間に似ている、というところは省略しました。
さすがに、これは絵で見ないと想像しにくいだろうと、思いまして(笑)


はっきりいってドマイナーな妖怪でして、絵としては冒頭で挙げた鳥山石燕のものしかないみたいです。
一因としては、最初から怪異の正体として、怪鳥が出てきていたからではないかと、手前は推測しています。
要は、話がハッキリしているので、噂話や怪談としてはつまらないモノになってしまっているのです。
他の鳴き声系の妖怪が、様々なバリエーションを見せているのは、正体がハッキリしてなくて、色んな解釈が出来たからじゃないかと。


鳥山石燕 画図百鬼夜行』をパラパラと眺めていて、ふと目に留まったのがこの以津真天でした。
『いつまで、いつまで』という言葉が、何だか恨めしくも悲しい響きを持っているような、そんな風に感じました。
いつか、これを題材にしてSSを書こう、と思い、その機会を得たのがウドンゲでした。
彼女の業と、いつまでという響き、それに囚われ解き放たれる、そうやって『以津真天の枷』は生まれたのでした。
なにぶん、まだまだ未熟なところは多々あったと思いますが、自分の書きたかったものを全力でぶつけました。
少しでも、面白かったと思っていただければ、幸いです。




最後に余談を一つ。
この以津真天。意外なところで東方シューティングにも出てきています。
気づいた方もいるかもしれませんが、原典となる太平記の『広有射怪鳥事』という題名は、東方妖々夢5面のボス戦でのBGMタイトルとして使われているのです。
しかも副題に『〜Till When〜』と付いています。
till=〜まで、when=いつ、これらを組み合わせて「いつまで」となるわけです。
これに気づいたときは、ZUN神主の博識ぶりには恐れ入りました(笑)