仙北谷茅戸著『畑の向こうのヴェネツィア』感想

イタリアン・フェアで梅田へ行った際、ついでに旭屋書店に寄ってきました。
目下、ARIAに嵌りまくっているので、イタリアの、特にヴェネツィアの事が知りたくなりまして。
観光ガイドや欧州関係の書籍コーナーをぶらついている時、ふと一冊の本が目に留まりました。
それが、『畑の向こうのヴェネツィア』だったのです。


簡素な装丁のその本を手にし、パラパラッと中を見て、一度棚に戻し・・・・・・少し迷った挙句、再度本を手に取りレジへ向かいました(笑)
上手く言葉に出来ませんが、ざっと読んだ文章から、何かを感じ取ったのですよ。
たぶん、ARIAにも通じる、優しい何かなのだと思います。
そしてそれは間違いなかったと、本を読みながら確信しました。



内容は、ヴェネツィアにほど近いある田舎町、ノアーレに住む日本人教師である著者のエッセイです。
ノアーレでの四季、そこに住むまでの過程と出会った友人たちとの思い出、イタリアを始め、ヨーロッパの様々な地方を訪ねたときの感想などが、主題となっております。


全体的には、イタリアの地方色溢れる描写が、時に面白おかしく、時に優しく紹介されていて、『あ〜、イタリア住みて〜』と何度も思わされます。
それだけ、著者自身がその暮らしを満喫している、ということでしょうねぇ(笑)
著者の仙北谷茅戸(せんぼくや かやと)さんは、プロの作家さんではないようですが、だからこそ飾らない言葉で、ストレートに自身の心情を文章に投影されていると思います。


たまに挿入される、親しい友人、知人との出会いと別れが、夢のような生活に現実の深みを与えています。
取り分け、親友が修道女になった話は、なかなか考えさせられます。
修道女になり俗世と切れる、日本人である手前には、その重みが直感できませんでした。
少なくとも、今の日本で坊主になったり宮司になる、というのとはまるで重みが違うのでしょう。
それを決意した彼女と、今まで自分が見知っていた彼女とのギャップが、著者にとって『引っ掛かっているもの』なのだと思います。


京極先生に影響を受けまくっている手前としては、こういうギャップは多かれ少なかれ、誰にでもあるものなのだと考えています。
人間誰しも色んな面を持っていて、接する人が違えば見える面も違います。
それは当たり前のことであり、当然のこと。
大事なのは、自身が他人と直に向き合って、そのとき見えているる相手とどう上手く付き合うか、なのだと思います。
適当な距離を置くか、深く踏み込むか。
どちらにしろ、相手を目の前にしなければ、決められないことです。


・・・・・・などと、ネットの片隅でこんなことを好き勝手書くのはイカガナモノカと思う自分もいます(笑)
正直な気持ちではあるのですけどね。
今現在、仙北谷さんはアニーと再会できたのでしょうか・・・修道女としての彼女を受け入れられたでしょうか・・・。


(※余談:撃墜王兄上やマスターと初めて会ったとき、ネット上とは当然勝手が違うため、適性距離を保つのが難しかったですw)



こんな風に、色んな事を考えさせらつつも、イタリアの美しい風景を想像し、穏やかな気持ちにさせてくれる、『畑の向こうのヴェネツィア』とは、そんな一冊です。
ARIAを読んで癒された人なら、きっとすんなりと心に染み入ってくることと思います。
機会があれば、本屋さんで是非手にとって見てくださいなぁ〜。